古地図を片手にまち歩き

明治26年測量の正式二万分の一地形図は、基本的に江戸時代の景観を残していると考えられます。また、江戸時代の道筋は、織田信長が造った“安土山下町(あづちさんげちょう)”の道筋を踏襲していると考えられます。そこで、あづちふるさと学の仲間たちは、この古地図を見ながら、ブラリまち歩きをしてみることにしました。古地図のまま残っているのか変わっているのか。川や水路、田んぼや桑畑、竹やぶなどの地図記号も合わせて見ながら歩きます。
最初にやって来たのは、、地図で・・・・・・のマークのあるところです。これは「崖」の印です。たしかに立派な石垣で固めた2mほどの段差が続いています。近所の人によると「この石垣は江戸時代の終わりころに積んだと聞いている」とのこと。崖の下には、今でも水が湧く小さな池がありました。安土城下要図を見ると、この辺りは茶屋の浦と表記されていて、大昔は水辺だったことがうかがえます。今は新しくできた宅地になっていて、そんな面影はまったくありませんが、この段差は安土山下町の境目で、この崖の上が山下町、歩いている崖の下は水辺だったのです。
この後、安土駅前から「下街道」を通り、古地図に残り常楽寺の中の道を歩いて町の様子を見て回りました。
ふだんは何気なく歩いている道ですが、こうして古地図を見ながら歩くと、また違った景色が見えてきて楽しいですよ。
  


2024年05月17日 Posted by ころっけパパ at 18:15Comments(0)ころっけパパのひとりごと

開校5周年2


西の湖自然楽校5周年の集い。
午後の部は“音楽キャラバン隊 こーろ☆ころっけ”活動30周年のミニライブです。こーろ☆ころっけは、流行りの歌ばかりを耳にする機会が多い子どもたちに、昔から歌い継がれてきた童謡や唱歌、「おかあさんといっしょ」などで歌われる子どもの歌を届けるコーラスグループで、昨年結成30年を迎えました。この日は自然楽校に来てくれた子どもたちと一緒に、歌って踊って、楽しいひと時を持つことができました。いつもならとっても面白いパネルシアターも登場するのですが、この日は風が強くて見ることができませんでした。残念!
ころっけさんのミニライブが終わると、5周年の盛りだくさんのイベントもおしまいです。朝、みんなで上げた鯉のぼりを下ろします。花壇につけるプレートもみんあがとっても上手に描いてくれたので西の湖花壇に取り付けました。
さあこれからも西の湖自然楽校は楽しいことをいっぱいするからね。楽しみにしていてください(^^)/



  


2024年05月05日 Posted by ころっけパパ at 18:15Comments(0)西の湖自然楽校通信

開校5周年


 令和元年5月1日に開校した西の湖自然楽校は今年で満5歳になりました。ということで5月の“冒険ひろば”は開校5周年を記念する集いです。西の湖ふれあいハウスで活動する、フリースクールの蜜柑の木の仲間たちはハウスの中で西の湖カフェを開店。中学生のパン屋さんや揚げピザのキッチンカーも来てくれてとても賑やかです。
 10時。開会セレモニーは鯉のぼりを上げることにしました。「よいしょ、よいしょ」とみんなで力を合わせてロープを引っ張って鯉のぼりを上げていくと、気持ちの良い西の湖の風に吹かれた鯉のぼりは元気に大空を泳ぎだしました。
 さあ、これからは子どもたちがお待ちかねの冒険ひろばの始まりです。いつものロープ遊びやハイジのブランコ、校舎北側の野草の草花が咲く広場での草花遊び。そして今日は特別ゲストの剣玉名人もブースを開いて、名人が剣玉の技を披露してくれています。レイカディア大学園芸学科と自然楽校の子どもたちが一緒に作っている西の湖花壇のプレートを作るコーナーでは、子どもたちが熱心にプレートのお絵描きを楽しんでいます。お天気も良く風も強くないのでボートで西の湖探検にもでかけましたよ。
 とっても気持ちの良い冒険ひろばになりました。








  


2024年05月05日 Posted by ころっけパパ at 18:00Comments(0)西の湖自然楽校通信

初の試み


西の湖自然楽校ふれあいハウスで、自然楽校開校5周年プレイベントとして、初のブッキングライブを行いました。
ふれあいハウスには音響設備が一式置いてあり、これを使って大人が楽しめることもしてみたいとかねがね思っていたところ、音響設備を提供してくれている方の都合もつき、開催することができました。
今日来てもらったのは、音楽キャラバン隊こーろ☆ころっけ、REI、遠まわり、キヨタン、あいげん、BarGeesの6組の皆さんです。こーろ☆
ころっけは童謡や唱歌を歌うコーラスグループですが、他の皆さんはオリジナル作品の演奏で、楽しい時間を過ごすことができました。





  


2024年05月03日 Posted by ころっけパパ at 18:00Comments(0)西の湖自然楽校通信

西の湖ふれあい施設


西の湖の畔に建つこの施設をご存知でしょうか。1997(平成9)年に建てられた「西の湖ふれあいハウス」と言います。緑に包まれたとても素敵な環境の地に建っているのですが、2018(平成30)年に行政改革の名のもとに「廃棄物件」とされたしまったのです。廃棄理由は「利用者がない」とのことだったのですが、利用を促すアピールもしてこなかったため、このような施設があることすら知らない住民が大半でした。それでも心ある有志が、西の湖畔にたった一ヶ所しかない、子どもたちが安心して過ごせる施設は大切に残すべきだ、と声を上げ、市長が交代すするのに合わせて陳情を重ね、廃棄せずに存続することになったのです。

その後、議会の承認を受けて、2023(令和5)年10月にNPO法人「西の湖自然楽校」に無償譲渡することとなりました。
今ではこの施設にたくさんの子どもたちが集い、元気な声を響かせています。季節は春真っ盛り。キャンプサイトのクヌギやシラカシ、ヤナギの新緑が湖面に映えています。ハウスの北側にはシロツメ草やタンポポ、ジシバリ、マーガレット、ヒルサキツキミソウなどが美しく咲き、子どもたちが昔のように花の冠づくりを楽しんでいます。
これから折に触れて、四季の西の湖の様子をや自然楽校の取り組みをお伝えしていきます。
  


2024年05月01日 Posted by ころっけパパ at 18:00Comments(0)西の湖自然楽校通信

安土コミュニティエリア構想

 前回ころっけパパのひとり言を書いてから半年が経ちました。その間もこのブログをずっと検索していただいている方がおられ驚いています。
 
さて昨日の地方紙に安土コミュニティエリア構想案~令和8年度中の完成をめざす~との記事が載っていました。驚くのは一昨年8月に住民に向けて行われた「教育施設整備計画」で示されていた整備用地より広い範囲が示されています。その理由として、あの時は学校移転を想定しての用地であり、今回はコミュニティエリアとしての整備なので広い範囲が必要、とのことです。では、コミセンも含めて移転整備するという事前説明会はあったのでしょうか?たしか一昨年の説明会で、コミセン
の話題を出された質問者に対し「ここは小学校移転のことだけです」と一蹴されていたように記憶しています。ではいつ、どの段階でコミセン移転の説明がなされたのでしょうか?
 実は10年以上前から、コミセンの移転新築の要望は地権者とまち協幹部の間で出されていました。しかし住民の反対が根強くあったので、苦肉の策として小学校移転についてだけ、保護者アンケートの形で住民合意を図り、賛成が多数だったので移転する、と決められたのです。では小学校だけ移転すればいいものを、いつの間にかコミュニティエリアという形での整備計画が進められ、住民の声を聴くこともなく“粛々”と移転ありきで計画が進んでいるのが今の状況です。

 しかし、今でも「小学校移転は仕方が無いとしても、小学校の跡地で、小学校の校舎の一部改修してコミセンにすれば、体育館もプールも有効利用でき、運動場も広い駐車場として利用できるのに、もったいない話やなあ」と言う声は多数聞こえています。線路の際まで土地を買い上げることで地権者の皆さんの賛同も得やすく、地権者の方々にとっては10年越しの願いが達成するのでしょうが、土地取得にかかる費用や、水害予防のための調整池の整備や土地の嵩上げなどを考えると、小学校跡地を有効利用した方がよほど税金の無駄遣いがなくて済むような気がしま
す。  


2023年06月14日 Posted by ころっけパパ at 18:18Comments(0)ころっけパパのひとりごと

地下道事故と安土コミュニティエリア

 12月9日の新聞に「地下道水死 遺族が近江八幡市と県提訴」という記事が掲載されました。記事にもあるように、この地下道は以前から度々冠水しています。死亡事故の原因究明が待たれるところですが、さらに気がかりなのは、新しいコミュニティエリアが造られようとしている場所は、この地下道から100m足らずのところです。地下道に流れ込んでいるのは、ハザードマップで浸水想定がされているこのコミュニティエリア予定地に溜まる水なのです。
 9月1日に発行された安土コミュニティエリア整備検討通信に、この浸水想定区域に決まった経緯が書かれていますが、大事なことが省かれているため、経緯を知らない人が読むと、あたかも住民の合意に基づいて決まったかのように読める内容です。実際はどうなのでしょうか。
 まず、この区域にコミュニティエリアを造る構想は、まち協が発足する前の準備会の時から、既定路線として決まっていたのです。ところがまち協が発足して立ち上げた「拠点検討委員会」や翌平成26年度の「安土コミュニティセンター等建設委員会」では結論が出ず、「丁寧に時間をかけて、住民のコンセンサスを得る必要がある」との答申が出されたのです。
 これにしびれを切らしたまち協は、検討の場を自治連合会へと移行させ、平成28年に当時の区長に賛否の判断をさせたのです。心ある区長は「いったん持ち帰って区民の意見を集約したい」との申し出をされたのですが、連合会長から「区長は住民の代表として選ばれているはずだから、ここで判断してもらって何ら問題はない」と押し切られる形で賛成の署名をされたのです。しかしそれを知った一部の地域では「そんな大事なことを何の相談もなく区長が勝手に決めることではない」との意見も出され、賛成を反対に書き換える自治会もあったのです。ですから一体化整備賛同自治会74%というのは、きわめていい加減な数字なのです。
 ここまでは「コミュニティエリア」をどうするのか、という検討だったのですが、令和に入ると、突然論点がコミュニティエリアから小学校の建替えへと変わります。

  


2022年12月22日 Posted by ころっけパパ at 22:00Comments(0)ころっけパパのひとりごと

地下道冠水

 先月19日(水)午後、安土の近辺では1時間に90㎜を超える大雨が降りました。JR安土駅の東側にある古い地下道は瞬く間に水が溜まり始め、降り始めから1時間も経たないうちに水は2m近く冠水し、通行ができなくなりました。
 この時、コミセンから帰宅途中の高齢の方がこの地下道を通りかかり、溜まった水の中でお亡くなりになるという悲しい事故になってしまいました。この事故は全国ニュースでも報じられ、多くの方が知るところとなりました。
 昔から大雨の度に冠水するため、近隣住民は大雨の時は西側の新しい地下道を通るようにしているのですが、どのような事情でここを通ろうとされたのかは分かりませんが、とても残念なことになってしまいました。
 この地下道は、古くて狭いのですが、結構通る人は多く、中学生の通学路にもなっています。この地下道を北側に抜けたところが、今度、移転新築が計画されている小学校の予定地で、おそらく衣笠台、加賀、十六、上豊浦の子どもたちは、この地下道を通って通学することになるのでしょう。今回も、子どもたちが学校に行っている間に急激に雨が酷くなり、瞬く間に冠水してしまいました。もし、新しい小学校が開校していたら、子どもたちが学校にいる間に、周囲は冠水し、通学路となる地下道も水に浸かって通行できなくなるはずです。それでも、避難所も兼ねる学校やコミセンをこの地に建設をしようとするのはどうしてなのでしょうか?

 


  


2022年08月01日 Posted by ころっけパパ at 17:18Comments(0)ころっけパパのひとりごと

まち協総会

 「あづちのWA」6月号(Vol.110)に「令和4年度まち協総会により、事業計画が決定しました!!」の見出しの元、「評議員合計116名のうち94名(委任状66名)の参加者により本総会は成立し、各議案も滞りなく承認いただきました。」という記事が一面に掲載されています。118名の評議員の内、実際に出席したのは28人ということになります。
 実は各評議員の下には4月28日付の総会案内で「例年なら総会に出席いただく案内をするところですが、密集・密接を回避するために、誠に恐縮ではございますが今年度は「委任状」にて出席とさせていただきます。」という案内が届いていました。この案内、どう思いますか?「書面決議」ではなく、あくまで総会です。しかし委任状による出席にしてほしいということです。実際、書面決議の時につける「書面決議書」も「総会資料」もありません。このような「総会」で、各議案が滞りなく承認された、と言えるのでしょうか。今回の議案の中には、新役員7名の承認も含む重要案件もあったようです。また、あづちのWAに掲載されている収支決算書を見ると、安土学区在住1戸500円の協賛金を納めているのは2,687世帯分です。令和元年の統計による安土学区の世帯数は3745戸ですから、学区に住む住民の7割ほどしか協賛金を納めていない、つまりまち協の構成員になっていないことになります。
 コミュニティエリア検討会議の席では「今後、まち協が、どのようにして地域の意見を取りまとめ、リードしていくかが課題である」(R4.2.21第3回検討会議)と言われている中にあって、住民不在の総会が開催され、新役員にはコミュニティエリアを早期に実現しようというメンバーを集めているまち協が、本当に地域の意見を取りまとめられるのでしょうか。

   


2022年06月14日 Posted by ころっけパパ at 10:18Comments(0)ころっけパパのひとりごと

沙々貴山長峰から見た風景

 今から1300年ほど前、聖武天皇が薬師寺に勅施入した100町の水田が荘園化したところが「豊浦荘」と呼ばれ、その施入地の東限とされる「神崎蒲生堺并沙々貴山長峰」(繖山の尾根)を歩いてきました。尾根の途中にとても見晴らしの良い場所があります。豊浦荘の北側が見渡せます。向こうに見えるのが豊浦荘の北限「大渭」(西の湖)です。ご覧のように西の湖と豊浦荘は地形的につながっていて、西の湖の水位が上昇すると必然的に手前の水田地に水が流入してきます。これが内水氾濫です。この場所に小学校とコミセンが移転することに決まったようです。
 NHKの防災メモでも「氾濫想定地域への居住制限」「調整池の整備」「水田への貯水」等の必要性が言われていました。そのような場所に、多くの人が集まるコミセンや小学校が移転するのですから、その対策費用はかなりの額になるのでしょう。しかも「市長はコミュニティエリアには森があり、そこで読書やお茶をすることができるような都市公園的なもので、そこで地域の方が運営をされるようなグリーンをイメージされている」(R3.11.17第1回検討会議)となると、土地を基礎から改良する大掛かりな工事も必要になり、ますます費用は嵩みそうです。
 そこまでしてこの場所にコミュニティエリアを建設する必要性やまちづくりのビジョンが見えてこないのが残念です。
  


2022年06月13日 Posted by ころっけパパ at 09:20Comments(0)ころっけパパのひとりごと