子どもの声が響く日を願って

 3月に全国の学校が一斉に休業となりもうすぐ2か月。その間に全国に緊急宣言が出され、学校の再開はさらに1か月先に伸びましたが、それですらどうなるか分からない状況です。子どもたちは毎日どんな過ごし方をしているのでしょう。
 人の世界は新型コロナウイルスの猛威にさらされて、不安な日々が続いていますが、自然界はそんな世界を尻目に、いつもと変わら四季の移ろいを見せています。野山には新緑が芽吹き、湖のヨシの芽もずいぶん大きくなってきました。草丈もぐんぐん伸びてきています。
 西の湖自然楽校も、当初の計画では、5月に開校一周年記念の防災デイキャンプを予定していたのですが、もちろんできる環境にはありません。いつになったら収束に向かうのか分かりませんが、いつ再開してもいいように、環境整備だけは続けておこうと、自然楽校の老人チームが校庭(ふれあい施設野外活動スペース)の草刈りと枝打ち作業をすることにしました。広い敷地ですから、お互いに距離を取りつつ、湖に張り出した柳の枝や、立ち枯れている木を伐採したり、草刈機で芝生広場に広がってきている雑草を刈り取ったりと、老人チームも久しぶりにいい汗をかきながらの作業となりました。
 2時間ほどの作業でしたが、伸びていた草もきれいに散髪され、野外活動広場から西の湖の水辺に行ける通路もできました。この広場に子どもたちの歓声が戻る日が一日でも早く来るよう祈っています。  


2020年04月26日 Posted by ころっけパパ at 20:25Comments(0)ころっけパパのひとりごと

川戸のあったところ

 上豊浦には、川戸と呼ばれる水辺が、集落の東側にある洪積台地の崖下のあちこちにありました。川戸は畳一畳か二畳ぐらいの広さで、年中底の方から滾々と清らかな水が湧き出していました。ところが、昭和40年代から始まった宅地開発により、JRの線路より南側の崖下は全てが住宅地や商業施設となり、川戸はほとんど姿を消し、今は八日堂の崖下(県道の下)と個人所有の川戸が一か所残っているだけになりました。この場所は今でも滾々と清水が湧いています。
 線路の北側にも川戸は何か所もありましたが、埋め立てられたり、圃場整備の影響で水が湧かなくなったりして、宅地から崖下の川戸跡に降りる石段がその名残を留めているだけです。今、その場所も新たな宅地開発が始まり、何年か後には45区画の宅地と商業施設が誕生するそうです。しかし、考えてみると、この川戸が何故ここに湧き出ているのでしょうか。上豊浦の西側になる常楽寺にも湧水があり、こちらは地元の人たちが大切に管理され、今では街歩きをする人の観光コースにもなっています。これらの湧水はどちらも愛知川の伏流水で、昔からの集落が形成された台地の縁に沿って湧き出しているのです。
 つい最近の北海道胆振地震でも、各地で宅地の液状化が発生し、多くの住宅に被害が出ましたが、こうした土地はもともとが沼や内湖を埋め立てた場所か、昔の河川跡だったところだという調査結果が出ています。地域の発展に、こうした宅地や商業施設の新規建設は止む無しという声も聞こえてきますが、本当に大丈夫なのかなと、川戸の跡を見るたびに考えてしまうのです。  


2020年04月13日 Posted by ころっけパパ at 18:10Comments(0)ころっけパパのひとりごと